Yamanobe Architects Office
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2007.08.25

敷地をよむ。

建築の計画をするにあたって、まず最初に重要となるのが敷地。敷地の状況を読み解く事。

計画敷地の形状、植生、日の当たり方、風の向き、景色、周辺環境、地域性等々。調査、考慮し計画する。その際、できるだけ無駄な手は入れないように心がけている。土地は大地の神様に借りているものだと思うから。そもそも地鎮祭は大地の神様を鎮めるものではなく、お礼をいう挨拶の式。そう思う方が僕はしっくりする。

食事をする時の挨拶「いただきます」の意味。知っているようで知らない本当の意味。三年前に比叡山延暦寺で説法を聴いた時のことをまだはっきりと覚えている。

「いただきます」は「お命いただきます」という事。食物になる生き物達への感謝の言葉。欧米では神に祈りは捧げるけれど、食物そのものに対しては何も言わない。「いただきます」ってとても大事な挨拶。そう、だから僕は食事はできる限り残したくない。残さない。

体重増。

大学時代の友人、進藤宏行君からこんなメールを頂いた。

祈りは 種を超え 時を超え 伝わる力だと思います。

祈りましょう 愛する人に

祈りましょう 友人に

祈りましょう 家族に

祈りましょう 今日に

僕のテーマの一つ「祈りの場」に共感して送ってくれた詩だ。研究室で苦楽を共にした友人。正直嬉しいです。

2007.08.20

心・技・体

8月18日、大相撲松本巡業を観に行って来た。大相撲でよく聞く言葉が「心・技・体」、「技」と「体」は字からも想像できるが、「心」ってなんだろう。そんな事を想いながら初めて大相撲観戦した。

取組前の稽古は大関や関脇といった実力のある力士の胸を借りて稽古ができる。ある力士が大関や関脇に挑んで負けると、すかさず他の力士が割って入り名乗りを挙げる。大関や関脇が負けたり、何本か勝負すると次の大関や関脇が胸を貸す。年功序列のない実力のみの上下関係。当然、挑戦する力士は名乗りを挙げたいから土俵際まで大勢が寄ってくる。土俵上は力士だらけ。

欧米人と違って、古来から日本人は自然や動物に畏敬の念や尊敬の念を持って共生してきたということを本で読んだ気がする。日本の特に古建築、「伊勢神宮」や「出雲大社」や「法隆寺」なんかを観るとやっぱりオーラみたいなものがある、自然等に感じるのと同じように古建築にも畏敬の念を僕は持つ。

その光景を観たときに僕は感動した。当然横綱の迫力、頂点を極めた者のオーラ(気迫)みたいなものが感じられたのもあるれど、周りの力士達の横綱への尊敬の念がものすごく感じ取れた。それと同時に一生懸命学ぼうとする空気。それに応える横綱の気迫。体と体のぶつかり合いの中での無言の会話。「心」のやり取り。

そんな中、横綱登場。会場もざわめく。土俵下で入念な準備運動をし、遂に土俵の中へ。その瞬間、土俵際にあれだけいた力士(大関、関脇も含む)が一斉に土俵下に。横綱が相手を指名し納得いくまで胸を貸し稽古をする。その間、他の力士達はじっと見つめている。

「あっこういう事なんだ」って、「だから相撲は国技なんだって」。建築をやっている性分なのか、妙に納得し刺激を受けた。

相撲が好きになった。そういえば、横綱の綱締の「綱」って、神社に奉納する綱と同じ形だよね。

2007.08.16
心がけ。

僕の最も尊敬する前田木藝工房の前田純一さんからは建築の事を含め、様々な事を教えて頂いた。当然ながら、僕は前田純一さんの影響をかなり受けている。前田純一さんは随分前から「火と祈り」をテーマに制作活動をされている。そんな訳で僕も建築(特に住宅建築)のテーマの一つが「祈りの場」ということなる。

僕が考える祈りとは「祈り=感謝の念」。感謝するのは先祖であったり、家族、動物、食物、自然等々。感謝をするという事は謙虚な心が必要で、謙虚な心があれば素直な自分でいられる。要は心の持ちようだけど、人間は忘れっぽく楽な方へ行きやすい。理想論ではあるけれど、努力するのは大事な事。でも今の近代住宅には「祈りの場」のある住宅がほとんどない。乱暴な言い方をすれば、「祈りの場」がなく、「祈り=感謝の念」をしないから、身勝手な人間がどんどん増えてくるような気がする。

(余談ではあるけれど、今日、事務所の近くの田園地帯の用水路の脇で、水を勝ってに汲んで洗車をしている人がいた。用水路の水は水利組合が管理していて、原則は田んぼや畑の水。百歩譲って、水を使うのは認めても、洗車用洗剤でゴシゴシ洗ったあげくバケツで水をバシャー。当然、汚れた水は用水路に帰り、洗剤まみれの水は田んぼや畑に戻る。洗剤の量は大した事ないかもしれないけど、小さな身勝手が積み重なって大きくなる。大人であれば当然わかる事が分からない。そんな人にはなりたくないと思いつつ、勇気を出して注意させてもらった。)

「祈りの場」とは専用の空間が必要という訳ではなく。仏壇や厨子を置けるだけのスペースがあればいい。たとえそれらがなくとも、雨や雨音、風や土の匂い、木々のざわめき、色や型、光の陰影で「あ!奇麗だな」、「気持ちいいな!」って感じられる空間があればいい。そういう空間と必要最低限の無駄を省いた空間があれば、住宅は十分ではないかと。まだ、そういう住宅を設計した事はないけれど、いつかできる事を、いつでもそういう住宅が設計できるよう準備し、「祈り」を忘れずに仕事をしていきたい。

2007.08.15
そもそも僕が建築を志すきっかけになった出来事。

約20年前、中学の同級生前田大作君と友人となり、彼の自宅に遊びに行った時だった。中学一年生の僕にはまさに衝撃だった!彼の自宅、インテリア、庭、ライフスタイル、全てが本当にかっこよかった。その後、前田君、彼の父親の前田純一さん、ご家族の皆様を通して自然と建築を志すようになった。

そもそも前田家とは・・

江戸指物師の桑樹匠前田南斎氏を初代とし、現在三代目の前田純一さんが松本市三城に前田木藝工房を構えたのが23年前。僕の友人、前田大作君は四代目となる。江戸指物の真骨頂、厨子などの他に日本人が作る日本の家具を制作し続けている。